道 #校長室からの風景
先日話題にした「SHOGUN 将軍」、古くは黒澤明監督の「蜘蛛巣城」など、戦国時代を描いた映像の中で、刀や弓矢は人の命を奪う道具として描かれています。当時において、刀や弓矢の鍛錬は、第一義的にはその武器としての目的を高度に達成するために行われたといってよいと思います。
時代が下って現代の日本では、刀(剣道)や弓矢(弓道)の鍛錬において、心技一体、心(精神)の道を究めることは、技の道を究めることに通ずるようになりました。剣道や弓道に限らず、○○道と呼ぶとき私たちはその行為の中に何かしらの精神性を見出しているといえると思います。
さて、高体連秋の新人戦の時期となりました。春大会(→ジェンダーバイアス)でもお伝えしたように、私(校長)は相双地区の剣道と弓道の部会長を拝命していますので、観戦をしてきました。
試合に臨む心持ち(気概)の話。
心を落ち着けて待つ姿勢。
酷暑と言われたこの夏、顧問の先生は熱中症計の針を睨みながらなんとか練習時間を確保し、選手たちは文字通り汗をかき(一生懸命)技の向上と精神の涵養に努めてきたことだと思います。
それぞれの競技が「道」であることがわかる時間です。
もちろん
どちらの顧問もコーチも、試合が終わった選手に、心の持ちようについて言葉をかけていたことが印象的でした。