浦島太郎 #校長室からの風景
何も老人になる煙だけを入れた箱をお土産に持たせなくてもよいものを…と、子供心に思いましたね。主人公が未来に飛ばされたり、過去に飛ばされたりする映画やドラマを見るたびに、浦島太郎も一時的に悲観はしましたが、若いままであればその後は強く生きていけたのではないかと思ってしまいます。
さて、本校では、玉手箱などなくても一瞬で高齢者になることができる授業があります。生活と福祉(家庭科)の高齢者疑似体験の授業です。
隣の介助者役の生徒が声を掛けますが、即席おばあさんは聞こえないようです。
即席おばあさんはお茶を出すのにも一苦労のようです。
右手は軍手を何枚も重ねて関節の動きをさまたげ、左手はサイズの合わない薄い手袋で握る力を制限されています。そして、目は白いすりガラスのゴーグルが白内障の視界を再現。
即席おじいさん、即席おばあさんは、お金を数えようとしますが、関節が固くなった指ではうまく数えることさえできません。
即席おばあさんの、霞がかかったような視界では、楽しみにしている番組も見つけることができません。
高齢者を疑似体験することで、動きやスピード、視界が自分たち若者を基準に考えてはいけないことに気づきます。そして、想像していた以上に一つ一つの動作に努力がいることも。
同時に経験する介助者としても、伝える方法や声掛けのタイミング、待つ姿勢など深い理解につながります。
私もほどなく玉手箱を開けてしまった状態になるでしょうが、このような学びがあることを知って、一安心です。