
卒業式式辞 #校長室からの風景
式辞
阿武隈の山々から暖かい風が吹き、新井田川の水ぬるむ今日の佳き日に、県議会議長様、同窓会会長様、PTA副会長様をはじめとする多くの皆様のご臨席を賜り、第七十七回卒業証書授与式を挙行できますことは、卒業生はもとより、私たち教職員及び在校生にとって大きな喜びであります。
また、卒業するお子様を育み支えてこられた保護者の皆様に、これまで私どもが賜りましたご理解とご協力に深く感謝を申し上げるとともに、改めて、お子様のご卒業をお喜び申し上げます。
そして、入学以来勉学に励み、卒業証書を手にした百三十七名の卒業生諸君に、心からお祝いを申し上げます。
さて、昨年の夏、私は諸君に一つのテーマを提示しました。覚えているでしょうか。その目でよく見ることを表す「刮目」というテーマです。なぜこのテーマを選んだのか、まずは話をしたいと思います。
私は、昨年の春、初めてこの相双地区に勤務しました。自宅のあるいわきからこの地へ向かうとき目にしたのは、帰還困難とされる区域の、雑草が生い茂る駐車場、看板の朽ちた店舗、障子が破れあけ放たれた窓からカーテンがたなびく家屋、夜ともなれば、漆黒の闇の中に並ぶのは街灯の明かりだけ。
東日本大震災、原子力発電所の事故から十四年、それまで私はネットの中を飛び交う様々な情報でこの地の様子を「知っている」と思っていました。車で2時間も走れば見ることのできるこの地を訪れもせず、様々な映像をとおして「わかっている」と思っていました。しかし、この目で実際に見た、「刮目」して見たこの地は、情報以上の現実があったのです。
諸君、私は諸君の卒業にあたり、一つの問いを諸君に投げかけたいと思います。
君は何を「知って」いますか。君は何が「わかって」いますか。君が「知って」いるのはそのすべてですか。君が「わかって」いるのはそのすべてですか。
私たちは今、平和の中に卒業の時を迎えることができています。我が国が平和の中にあること、それは諸君が生まれた時から当然のこと、「わかりきった」ことです。
しかし、海を一つ隔て接する国々が、軍事侵攻を行い隣国の主権を奪ったまま交渉に臨もうとし、諸君のような若者を拉致し、核開発やミサイル実験を繰り返し、海に資源を求め岩礁やサンゴ礁を力で支配し、船や飛行機の自由な行き来を脅かす国々であることを知れば、諸君が当然のことと「わかって」いた平和が薄氷のようにもろく、願い求め続けなければ手に入らないならないと「知る」でしょう。
平和という絶対的な価値さえ揺れ動く現代において、諸君がその手に持つ小さなデバイスは、情報で世界を網羅し、情報によって世界のありとあらゆるものを、まるで目の前にあるように見せてくれています。
諸君が幼いながらも経験した大震災、日本各地で頻発する自然災害、昨年年頭の能登半島地震、この冬の豪雪災害。さらには、自身の興味や研究に関すること、おいしいイタリア料理店、流行の着こなし、芸能人のゴシップまで、その単語を入力し、検索をかければ溢れるほどの情報が映像とともに手にすることができる時代です。
ところが、だれでも無料で発信できるもので構成されているその情報は、いまや真偽不明の偏った考えやデマにあふれ、そして、諸君の検索履歴によって同じような情報が次々と現れ、広く世界を見渡すはずが、小さな小さな風船のような世界に取り込まれて、それですべてを「知った」、すべてが「わかった」と感じてしまうことになるのです。
諸君、諸君は、いや私たちは、知っているようで「知らない」ことを、わかっているようで「わかっていない」ことを自覚しなければなりません。
うなだれてその手にあるデバイスだけを見つめることを、今こそやめ、顔をあげて「刮目」して今目の前にある世界を、その現実を、好き嫌いにかかわらず受け止める時です。「知りたい」、「わかりたい」という思いとともに、実際に現場に行き人々の話を聞き体験すること、実際に現場に行けないなら、例えばこの体育館の冷たい床に触れ、避難所生活を送る人々に思いをはせること、自分が暮らすこの街並みに豪雪の街、ガザの街並みを重ねて想像すること、こうした行為こそが「刮目」し広々とした世界を「知る」、「わかる」ことにつながります。
本校校歌の三番は「新井田川 水清くして 日に月に流れやすまず かくてこそわれら学ばん」と歌います。「川の流れのように、一日も休むことなく、わたしたちは学び続けよう」と歌っているのです。
諸君、「知っている」、「わかっている」と思った瞬間に「学び」は止まります。デバイスを見つめ、それが世界だと思った瞬間に「学び」は止まってしまうのです。
昭和二十三年、新生原町高校が誕生した際に制定されたこの校歌は、まるで不確実な現代に生き、デバイスの世界に取り込まれつつある諸君に向けて作られた歌詞のようだと私は感じています。
先に投げかけた問いに戻りましょう。君は何を知っているのか、君は何がわかっているのかという問いです。
きっと君は胸を張ってこう答えるはずです。「まだまだ知らないことが多いのです。まだまだ分からないことが多いのです。私は、知りたい。私はわかりたい。」と。
これからの未来を、これからの人生を、顔をあげて「刮目」して生きる七十七回卒の諸君に、期待と信頼を込めて、式辞といたします。
令和七年三月一日
※本校校歌は→こちら